2017年6月25日日曜日

つづきまして


間を空けずもう一本書いています。保坂です。feelngsというものは定期的に自分の番が回ってきます。あろうことか僕は二回分も延滞していました。

だから、二本目です。気持ちなんてそんなにいくつもあるものじゃない、ごまかしで連投しても意味がないという意見、ごもっともです。しかし、それ以上に義務を果たす必要が自分にはあると思ったので、書きます。



先にお詫びをしておきます。誰の得にもならないことを承知で、僕の日常生活と感じていることをいくつか紹介します。feelingsを書く理由も内容も完全に独りよがりです。

でもやはり、なかなか一度に二本も自分のサッカーに対する気持ちを交えては書けないものです。

そんなにすぐ思いは変わらないのです。

常に移ろうものは、日野の機嫌と秋の空、くらいですからね。









ーー 空模様は実に読みにくい。この時期ならばなおさらだ。雲ひとつない暑い日だと思えば、雲に覆われ突然の雨に見舞われる。

それゆえ、我が家にはビニール傘がたくさんある。

本数の8割は僕が買ったもので、原因の8割は僕の怠慢に近い不注意から来る。

朝、家を出る前にテレビを見る。天気予報曰く午後は所によってにわか雨が降るらしい。

外を見ると、気持ちの良い晴天。こんなに天気が良いのに雨が降るなど誰が言えよう。

確信を持ち家を出る、もちろん手ぶらで。



こうしてまた僕はコンビニで教訓を買い、我が家の傘立てにまた一つ、みずみずしい教訓が加わるのだ。

翌朝、すっかり乾いている昔買った傘たちと、まだ少し濡れたままの昨日の教訓を見て、五百円を無駄にした損失は大きい、この悔しさ決して忘れじと固く拳を握り自分に誓う。







握られた拳と、開かれた手のひら。したり顔で前を見ると、藤山君のでかい顔から余すとこなく悔しさがにじみ出ている。

彼とは一年の頃から一緒に筋トレをしていて、毎回じゃんけんで先にトレーニングをする方を決めている。

勝ち負けの価値が小さく、しょうもなくみえるかもしれないがそんなことはない。だってやっぱ先にやる方が辛いじゃん。



そんな彼とのじゃんけんだが、今年に入ってからの勝率は7割は堅い。なぜか、そこには経験から得られた分析と、その条件を整える弛まぬ努力があるのだ。

非常に端的に分析を教えると、彼は、不意にじゃんけんを挑まれると、無意識にグーを出すという病気なのである。

つまり、「時間的にも心理的にも突然のじゃんけん」を作り出せば「グー」という結果が約束されているのだ。

部員はこれを覚えておけば、練習試合の副審じゃんけんなどのときに役立つだろう。



しかし、そんな彼も弱点を知り克服し始めている。つい最近の闘いを紹介しよう。金曜の昼前のジムでの一戦。彼にじゃんけんの存在をさりげなく意識させた上で、充分に彼の心の準備ができたころ、突然挑んだ風にじゃんけんを開始する。この見事な手法で彼のチョキを、僕のグーで見事に打ち破った。

今後、弱点を把握した彼に勝つのにはまた苦労しそうである。こうやって互いに成長していくのであろう。

「グー出す病」を克服しつつある彼に敬意を払いつつ、弱点を教えたことを後悔するが、また新たな理論を見つけるしかない。

覆水盆に返らず、である。











お盆に食券を乗せる。最初の通り綺麗さを保った食券を、中央食堂のおばちゃんに見せ昼食を受け取る。

たったいま、また一つ僕が良い男への階段を登ったことにお気づきだろうか。



日々、節約のため中央食堂を使う僕が気づいたこと、それは「良い男は最初から最後まで食券が綺麗」というものである。

これには理由がある。昼の東京大学中央食堂は非常に混雑しているため、ぺらぺらの紙の食券を買ってから、それをおばちゃんに渡すまでの間、長蛇の列に並ぶ必要がある。しかし、財布に入れるほどのものでもない。つまり、食券を長時間手にもったまま列に並ぶため、最終的な紙の状態は大きく変わってくるのだ。

寺山君のように落ち着きのない奴はきっと手でいじってくしゃくしゃにしてしまうし、小椿君は汗で食券をびしょびしょにするだろう。

ただ良い男のみが平静に、無念に、無我を保ち、すなわち 綺麗な食券が手渡される。

その時意識されるものは昼食でも、食券でもない。自らの心である、あるいはそれすらももう意識の外かもしれない。洗練された食券渡しは、禅の精神にも通じうるだろう。

ただ勘違いしないで欲しいのは、綺麗な食券なのが良い男なのではなくて、良い男は必然的に綺麗な食券を渡すのだ。形だけ真似して精神を重んじないものは本質的にはいつまでもダサいままであり日常にぼろが出てくるはずだ。



良い男の条件のことなどさっぱり忘れていても、僕は涼しい顔で列に並ぶ。食券のことなど意識の外である。綺麗な食券を渡し、かま玉うどんを受け取る。よし、今日も良い男。

そして無意識にくしゃくしゃにしていた不要なレシートをポケットに突っ込み、おぼんを持ち席へ向かう。

ポケットの中身には触れないでもらいたい。









ポケットのついた長い短パンでプレーする上野からパスを受ける。周りを見たのち僕は遠い足で確実にトラップし、次の選手へパスをつなぐ。スクエアパス、サッカーの練習の基本中の基本だ。

さながらサッカーにおけるプラトンである。我々は、対面パスをやや発展させたたこの基礎練習が、どんな応用練習をやっても結局これを極めざるを得ないものだと気づかされる。単純で簡単な作業に見えるが奥が深い。基本であるがゆえに上手い人と下手な人の差が顕著にでるかもしれない。サッカーにおいては何本もビニール傘を買うがごとく同じ平易なミスを連発するのは恥ずべき行為であり、日々改善しミスをなくす努力をしなければ、、、、



いや、今回はそんなことを言いたいわけではない。サッカーの練習では稀な光景が一つあったことにお気づきだろうか。



そう、上野君である。

普通、サッカーのパンツはポケットがなく、短めなのが一般的なのだが、彼は常にポケットのついた長い短パンでプレーをする。



もう一度いうが、彼は常にポケットのついた長い短パンでプレーをするのだ。



二年生ながら、今年入ってきたという少し特殊な彼の情報を、恥ずかしながら僕はまだ多くは知らない。しかしこの一点のみで彼に夢中になっている自分がいる。是非とも仲良くしたいものだ。



ただ、ここで指摘したことで彼がプレースタイルを変化させることを僕は望んでいるわけではない。是非彼らしさを貫いてほしい。

上野をはじめ、一年生は皆個性的で、いいやつばかりだ。絡んだことのない先輩方も是非積極的に仲良くしてあげてほしい。

パンツが長いのが上野で、短いのが上田なので注意。



ちなみに、ア式随一の切れ者である佐俣君と話した結果、彼が生まれ育った北の大地と、ポケットのついた長い短パンというのは因果関係があるのではないかという結論が出たことだけ付言しておく。北海道、さむかったからかな。ーー









さむい語り口、自分の視点の発表。非常に恥ずかしいものです。これも僕が受けるべき罰のひとつでしょう。

皆さん僕の日常をなんらかの形で活用していただけると幸いです。



最後に、延滞し、義務を怠り直接的間接的に迷惑をかけた部員のみんな、ある意味謝罪、清算にまきこんでしまった、読んでくださった部外の方々、失礼いたしました。

feelingsはア式部員の魅力や考えを知るとても良い場だと思います!今後ともfeelingsを宜しくお願いいたします。





いくつもの傘よりも5000円よりも航さんのfeelingsが何よりの教訓

3年 保坂

とりま


ア式に入って前を向くための方法と自分と向き合う方法は数多く学べた。

興味があったからか、必要だったからか、たまたまなのか、はわからないけど。

本から、生活から。

言葉から、態度から。

尊敬から、反面教師から。







どんなときでも前に進み続けなければいけない。

「前」とは成長への一歩だし、それは勝利へ向かうべきで、本質からずれてはいけない。

理由はどうだっていいと思う。

本質的でも、うわべだけでも、偽善でも、虚勢でも。

とりあえず進み続けるべし。奥底に情熱があるのなら。







不安も期待も悔しさも、今は言葉にできる適切な形式も度量も見当たらない。

が、この二年間、気持ちも、技術も少なからず積み上がっているから、

自然と前を向いてるしいつだってポジティブだ。







価値を与えるも与えないも、すべて結果に委ねられてるから。

幸か不幸か、自分の満足度を測るア式での物差しは一つしかないから。

サッカーが好きだから。

このチームが好きだから。





やることは決まってる。









的な感じで。
3年 保坂 

2017年6月23日金曜日

自意識過剰になっていないか?


自意識過剰になっていないだろうか?

そんなに自分に集中してもしょうがないと思うのだ。



岩政コーチは「勝てるチームと勝てないチーム、どこが違うのか?」と題されたプレゼンで、「自分たちのサッカー」にこだわりすぎるチームは、勝負の相手の存在を考えることができず、「勝つ」という本来の目的から逸脱してしまうということを指摘している。かなりの大雑把な解釈なので、実際にYoutubeの動画を観てみるといい。



僕は「個人の勝負」に関して少し書きたい。チームは個人の集合であり、極論すると一人一人が目の前の相手に勝利することができれば、勝負を制すことができると思う。



個人が試合で調子が悪いときや、結果が出ないときはほとんど常に自分に意識が行き過ぎている。「今日は調子が悪いな」、「監督は自分を交代させるつもりかな」、「自分は相手に舐められているな」、「身体が重いな」… このように、試合中のネガティブな雑念のほとんどは自意識からきている。だが、現実的に考えてみよう。誰もそんなに自分に注目していないかもしれないし、調子が悪いと思っているのは自分だけかもしれない。自分が作り出している不安によって自らのパフォーマンスが悪くなってしまってはもったいない。



「そんなことはわかっている。でも、その雑念を取り除くことが難しいのだ。」そんな声が聞こえてきそうである。そこで、解決策を提示したい。



相手に意識を向けるのだ。

相手は今どんなことを考えているか?何をしたら嫌がるか?そんなことを想像するのだ。妄想でもいい。そもそも、自意識も妄想なのだから。



例えば、相手が自分を舐めていると思ったとき、それは相手の集中が切れている瞬間だと考える。僕の場合、前線でミスが多くなった場合、相手のプレッシャーが緩むだろうと考える。そこで、一発ゴールを狙いに行く。実際、相手が準備している状態でゴールを奪うのは大変だ。相手が緩んでいる時こそ得点のチャンスである。



他の例を紹介したい。自分のラフプレーに対して相手が侮辱してきたとしよう。そこで生じるイライラにどう対処するか?自分がイライラしていることに気を向けるのではなく、相手がイライラしていることに気を向けるのだ。

「コイツいらいらしてるよ、集中的に狙おうぜ。」と白藤に声をかける。その時の白藤と相手の顔を比較してみるがよい。点を取れる気がしてくる。



あるいは、相手に「穴」となるプレーヤーがいれば、名指しにして「3番の裏狙え」といった具合に、相手に聞こえるように言うと、その選手はどう感じるだろうか。意地悪だが、少しにやけてしまう。



ちょっとやり過ぎかもしれない。90分間常にそんなことをしていては良くない。でも、そういう駆け引きも時には大事だ。



身体が重くたって、相手に舐められていたって、いいプレーはできるし、結果は出せると思う。要は、妄想次第だと思うのだ。



しかし、楽観主義的妄想は本心とはかけ離れたもので、それで調子が上がるとは考えられない。と反論したくなるかもしれない。そこで、「笑顔」を提唱したい。おカルトチックではあるが、自分を「騙す」方法として笑顔が一番効果的だと思う。笑顔を作れば、余裕が生まれて自分ではなく相手に意識を向けられるようになるはずだ。

一人で笑っていても少し不気味なので、味方へのコミュニケーションの中で笑ってみる、相手とのコミュニケーション(?)の中で笑ってみるなど、色々方法はある。模索してみてほしい。



技術的なミスなど、時には試合中コントロールが困難な要素もある。コントロール困難な要素には、試合中は気を向けずに今自分がコントロールできるもの(想像上の相手の状態など)に働きかけてみては、というのが僕の提案である。

もちろん、技術は大事だ。試合中コントロールできない、とりわけボール感覚などの部分では、練習中に徹底的にこだわって質を上げていくべきだと思う。



勝利するには、日々の練習による技術の向上と、試合当日の90分を通じた総合的な駆け引きの両輪が不可欠だと思う。特に、後者は意識しづらいことかもしれないが、極論すれば勝負に直接影響を与える。是非、意識してみてはいかがだろうか。



自分のパフォーマンスはもっと自分でコントロールできるはずである。



4年多田






2017年6月22日木曜日

1からスタート


はじめまして!ア式女子部、新入部員の兵藤夏未です。



初めての投稿ということで、入部経緯について話そうと思います。





私は高校時代、ハンドボール部に所属していました。

何か新しいことがしてみたい!という気持ちで初心者から始まった約2年間は、非常に濃くて充実した日々でした。





しかし高35月、引退がかかった試合の前日。

もともと悪くしていた腰を悪化させ、分離症と診断されました。



試合当日はコートの中に立つことすら出来ませんでした。



試合の結果は健闘するも負け。

私は最後の試合で何も貢献すること無く引退となりました。



あの時の試合終了の笛の音、涙溢れる同期のみんなの姿、今でも鮮明に頭に浮かびます。





もちろん、ハンド部に入って部員のみんなと苦楽を共にしたことに後悔はありません。

でも、私の2年間は儚く終わってしまったなぁ、と悔しさでいっぱいでした。



それと同時に、ある目標に向かって一つのスポーツに熱中することはもう懲り懲りかな、と思っていました。





そんな私に転機が訪れたのは、ほんの数ヶ月後。





9月の文化祭が終わり、いよいよ受験勉強一本という頃。

とある女子の「昼休みにサッカーをしよう!」という発言から、週に1,2回、勉強の鬱憤晴らしも兼ねて女子でサッカーをする習慣が生まれました。



経験者のほぼいない、わりかし何でもありなサッカーでしたが、クラスの垣根を越えて行われるそれはプレーしているみんなを笑顔にするものでした。



気付けば私はサッカーの魅力にハマってしまい、

「大学に入ったら本気でサッカーがやりたい、もう一度、1からスタートして熱中したい」

そう思うようになっていました。





とまぁ、こんな感じです。

昔話を長々と失礼しました。





初心者ということもあって、まだまだ出来ない事ばかりです。

でもだからこそ毎回の練習で得られるものは大きく、成長を感じられる度に更にサッカーの魅力にのめり込んでいく自分がいます。





もっともっと出来る事を増やしていき、もっともっとサッカーを好きになれたらいいな、と思う今日この頃です。



1年 兵藤夏未

2017年6月18日日曜日

ボールと信頼


最近のリーグ戦では、謎のミスでボールを失うことが増えている。そういうロストがピンチや失点に繋がる。高校時代に、ボールを失うことへの罪の意識はしっかりと自分に定着したはずなのに何をやっているんだろうか。



武蔵はボールロストに対して本当に厳しかった。

監督はもちろん、選手も、誰かがボールを失えば、それに対して激しく怒っていた。

自分が不用意なミスでボールを奪われたことに対して、監督に

「みんなお前が失わないと信じて走ってんだから、軽いプレーすんな。」

と怒られたのは今でもよく覚えている。

この時初めて、軽いプレーは自分を信じてくれた人への裏切りであることに気づいた。



ボールを失うということは、信頼を失うということだ。

自分を信じて、ボールを預けてくれた人、走ってくれた人、試合に使ってくれた人、応援してくれた人の期待を裏切っているから。



そう思うと、自分はこれまでのリーグ戦でたくさんの人を裏切ってきたのかもしれない。



プレーで信頼取り戻します。


ア式 2年 白藤 優

2017年6月14日水曜日

サッカー×東大生=?


講義を聴きながら、その内容を自分の頭の中でサッカーへと繋げてしまうことがあります。

量子力学でトンネル効果について説明されたときには、キーパー真正面のシュートがゴールに入るシーンを思い浮かべてしまいました。

こんな連想は何の役にも立ちません。

講義に集中しろ、という話ですね。

しかし、講義の内容がサッカーや部活動について改めて深く考えるきっかけとなったこともあります。

そんな講義のうち、僕の印象に強く残っている2つについて書かせていただきたいと思います。









1つ目は、「安全学」の講義です。

工学部の学生として、人工物を安全に使用していくために安全やリスクをどう評価していくかを学ぶことは不可欠です。

この講義で、安全やリスクの評価には決定論的アプローチと確率論的アプローチがあると学びました。

決定論的アプローチを簡単に言えば、想定された現象に対して安全を確保するための対策を重ね、その現象による被害を許容範囲内に抑えるべく工夫しようという考え方です。

一方で確率論的アプローチは、起こりうる現象を網羅的に把握し、それぞれの現象について「起こる確率」と「起こった場合の被害」の積としてリスクを定義し、

リスクを最小化する最適なシステムを設計しようという考え方です。

実際の人工物はこの2つのアプローチが組み合わされて設計されています。



サッカーの守備時のポジショニングではどうだろうか?

指導者の方々の教えや自分の経験を思い返し、この観点で見直してみました。

試合中に第一に考えるべきなのはどんな事だっただろうか

攻撃中の相手の状態から相手の選択肢を割り出し、それぞれの選択肢について

「起こりやすさ」と「起きた場合にどれほど危険な状態になるか」を判断すること。

その上で、相手のそれぞれの選択肢が自チームに与えるリスクを天秤にかけながらポジションを修正し、

リスクを最小化する守備配置を整えること。

まさに、確率論的アプローチでした。

守備の根本は確率論的な考え方にあると感じたのです。



自分の中でどこかぼやけていて感覚だけに頼っていたものを、明確に認識できるようになりました。

試合中のプレー選択だけでなく、プレーをビデオで振り返り守備の成功や失敗の原因を考えるときの

1つの重要な尺度にもなっています。









2つ目は、「ヒューマンモデリング」という講義です。

この講義では、多数の人間から成るシステムの動きを予測するための導入として、

人がチームとして動くときの性質について学びました。

AさんがBさんと共にある作業を協力的に行うには、相互信念と呼ばれる以下の3つの条件があるそうです。



個人の意図(Aはその作業における自分の役割を果たそうとする)

相手への信念(Aは、BBの役割を果たすということを信じている)

相手の信念への信念(Aは、「AAの役割を果たすとBが信じている」ということを信じている)





これについてもサッカーを連想し、守備におけるチャレンジ&カバーが好例だと思いました。

リスクを冒してボールを奪いに行く(チャレンジする)選手と、そのこぼれた球を回収する(カバーする)選手が、

ボールを奪うという作業を協力的に行います。

試合中で僕がチャレンジの役割を担うべき状況を想定しましょう。

まず自分がチャレンジの役割だと自覚してそれを果たそうとしなければなりません。(=

ここで、味方が僕のチャレンジに対してカバーをしてくれるという信頼がなければ、

リスクを冒してボールを奪いに行くことはできないでしょう。(=

さらに、僕がチャレンジの役割を果たすということに対する味方からの信頼を感じてこそ、より一層の責任感をもってボールを奪いに行くことができます。(=



このように考えたことで、味方にどんな声をかければいいのか、

そしてどんな声を自分にかけてくれるように要求すればいいのかを整理することができました。



この講義から学んだことは、プレー中に限らず部活動全般にも言えることだと思います。

(この文章で最も言いたいことはここからです。)



相互信念という観点で眺めていて、最近気になったのは部員名簿作成という作業についてです。

この作業を取りまとめてくれた働き者の服部君は、全部員にそれぞれ自分の情報を書き込んでもらうべく、

記入方法の説明、期日の設定と全体への周知、部室での口頭による催促、

期日前日のリマインド、期日後に未記入者のリストアップと催促

といった、責任者としての彼の役割を充分に果たしました。

この作業に対する彼以外の部員の役割は、自分の情報を期限内に名簿に記入することだけです。

時間にして1分もかからない簡単な役割です。

ところが、再三の催促を無視して期日後何日か経っても未記入の人がいたため、見兼ねた服部君は自分で調べて他人の分まで記入していました。

調べながら、それも複数の他人の分を記入していたため、それなりに時間がかかっていました。

1人当たり1分以上はかかっていたと思います。

役割を果たさない人が何人も積もれば、それは山となり大きな負担となって責任者を苦しめます。



これは、部にとって確実な損失です。

まず1つ、必要以上に時間がかかってしまったことによる時間的な損失があります。

この時間をトレーニングに使えば、彼はもう少しだけでも速く走れるようになっていたかもしれません。

そして、相互信念という観点から見れば、自分の役割を果たさないという言わば「裏切り」とも呼べるこの行為は、

今後の部員同士の協力関係にも悪影響を及ぼし得ます。

今回の部員名簿作成という作業がこのような結果になったことを受けて、服部君はこう思うかもしれません。

「どうせ書かない奴が多いのなら、記入方法の説明や期日の設定、全体への周知などをしても結局自分が書くことになる。これではまるで二度手間だから、次は初めから自分が書くことにしよう。」と。

こうして協力関係が崩壊する危険性もあるのです。上で言ったような時間的な損失を助長してしまいます。

裏切ったのは何人かでも、服部君から見た他の全部員に対する信念(=)を低下させる結果となってしまいます。

そして、期限を守らなかった部員には服部君への謝罪がなかった人もいたようです。

これは、彼の責任者としての役割意識や責任感を踏みにじる行為に他なりません。

彼の働きぶりに興味すらないようなこの態度は、彼の他部員の信念に対する信念(=)を全体的に低下させるでしょう。



部員名簿の例に限らず、フィーリングスをいつまでたっても提出しない部員たち、遅刻を繰り返す部員たち等々は、

自分たちの「裏切り」が確実に他の人に迷惑をかけていることを自覚すべきだと思います。

それも、見知らぬ誰かなどではなく、いつもそばにいて、同じ目標に向かって進んでいる仲間に大きな迷惑をかけているのです。

ましてや、上で言ったように裏切られた仲間が他の仲間と築く相互信念をも弱めているのですから、その「裏切り」の影響は計り知れません。

多くの部員がそれぞれ相互信念を結び巨大なネットワークを形成している組織の中で、

たった何人かの裏切りは裏切られた人の他人への不信感をよび、それがまた協力関係の断絶をもたらすことで負のスパイラルを生む危険性があります。

大袈裟な話のようですが、程度の差こそあれ、目に見えないだけで実際に起こっていることではないでしょうか?





相互信念の低下を防ぐ、もしくは高める方法もあります。

まず、の信念を低下させないためには、各自が自分に与えられた役割を果たしていくほかないでしょう。

しかし、人間なのでミスすることはあります。

人として当たり前のことですが、ミスをしてしまったとき何も言わずに過ごしてしまうのではなく、

迷惑をかけた人にきちんと謝罪して誠意を見せることが重要です。

その誠意が、責任者として役割を果たそうとする人々の他人への信念が低下するのを和らげると思います。

そして、彼らのの信念を高めるには、すなわち彼らが自分のする仕事に対し周りから信頼されていると感じられるようにするためには、彼らの仕事に気を配り、手伝えそうならば少しでも手伝うことです。

手伝えることがなさそうなら、せめて労わる言葉をかけましょう。

「ありがとう」「お疲れ様」

こんなありふれた言葉でも、彼らの仕事を頼りにしているということを少しは伝えることができるでしょう。

これらの言葉や姿勢は、チームとして動くときに「人として当たり前だ」という以上に重要な意味を持っているのでしょう。

僕はより一層、雰囲気の締まった組織にしたいと思うようになりました。





部員名簿作成はほんの一例です。目に見えるところで、そして目に見えないところで、スタッフを始めとする多くの部員が責任をもって仕事をしてくれています。大げさではなく、皆さんのおかげでこの部は回っています。

この場を借りて皆さんに感謝を申し上げます。そして何より、試合に勝つことで皆さんに恩返ししたいです。













読んで誰が得するかもわかりませんでしたが、僕の印象に残っている2つの講義について自由に書かせていただきました。非常に冗長な文章になってしまったことを反省しております。

最後に言いたいことは、サッカーと学問は決して切り離すべきものではないということです。

上に書かせていただいたように、学問に真剣に取り組むことでサッカーや部活動への大きなヒントを得ることもあります。

逆に、サッカーをやった経験が学問の理解の助けになったり、新たな発想の切り口を提供したりすることもあるでしょう。

この2つをうまく融合させ、化学反応を起こすこと。

それが、東大ア式蹴球部が持つサッカーに対する、そして学問に対する役割の1つなのかもしれません。















読んでいただき有難うございました。

4年 副将  

工藤 航

2017年6月13日火曜日

一勝




自分はおそらく多少計算的な人間である。小学校の頃からJリーグや海外サッカーを見てきたわけだが、残り時間何分だから何点取るには平均何分で一点だとかよく考えていたし、順位表を眺めて勝ち点や得失点差を計算するのが好きだった。




ア式のリーグ戦においてもそのようなことが気になってしまう。2部から1部に復帰するためには去年と一昨年のデータから考えると、勝ち点いくつが必要でそのためには何勝しなければならないとかいう感じである。




そのような話を持ち出そうとした時、僕は三年生の先輩のお咎めを受けた。残り何試合で何勝するとか考えるほど勝つことは甘くないと。確かにその通りである。




天皇杯。プロチームからアマチュアチーム、大学等、様々なクラブが日本一を競う大会である。J1のチーム対大学のチーム。結果は3-0。結果だけ見れば順当だなと思えるだろう。しかし得点時間は8086902分。これは適当な創作だが、天皇杯ではこんな試合がよくある。圧倒的に格上なチームが厳しい試合をしながらも、最後に実力差を見せつけて勝利する。




実力差が大きくてもこのような試合がよくあるのだ。つまり、東京都2部リーグの同じカテゴリに所属するチームで簡単に勝てる試合なんかある訳がない。




これは試合中でも同じことである。後半35分まで完全に試合を支配していたとしても、残りの10分上手くいくかなんて分からない。上手くいかないことの方が多いかもしれないほどだ。サッカーの試合で大逆転劇というものが色々なところで起こっているが、3-0だろうが4-0だろうが安全なスコアというものは存在しないと考えた方がいい。




リーグ戦第5vs日大商学部

自分は初出場。チームは今季初勝利を遂げた。

前半終わって2-0。内容もかなり支配していた。今日は勝てると思った人も多々いただろう。しかし実際は追加点を取れず、逆に後半41分に失点。そしてその後も押し込まれる展開が続いた。

やはり簡単に勝てた試合とは言えなかった。




次の試合に繋がるとかそのようなものは結果としてついてくるもので、考えるものではないと思う。今後のことを考えて勝てるほどサッカーはあまくない。




目の前の試合で勝ちを目指すのみ。




2 島田