2017年3月24日金曜日

「さあ、今日は楽しめるのかな?」



「さあ、今日は楽しめるのかな?」

去年、公式戦前にしばしばカリブ大先輩とこのように確認し合ったものだ。彼はどう感じていたか知らないが、自分はその言葉を発すると不思議といいプレーができる気がした。

しかし同時に、少し困惑していた。自分は楽しむためにサッカーをやっていたのか。



4歳からサッカーを始めてずっと上を目指してやってきた。結果が出ると、周りからも常にステップアップすることを求められ、自分でもより素晴らしい成果を追求してきた。「将来」のために「今」を我慢し、努力を重ねてきたつもりだ。

そんな中、去年僕はプロを諦めた。苦痛な決断であったので、詳細は割愛したい。かつては、プロを目指さない人が本気でサッカーをやるなんて信じられなかった。しかし、実際にやってみるとプロを目指していた頃よりサッカーが楽しいではないか。

以前より創造的なプレーをしたり柔軟な戦術眼を持つことができるようになった。



なぜか?

自分のサッカーに注げる時間的・情熱的コミットメントは圧倒的に以前の方が大きかった。なぜ、コミットメントを減らした今の方がうまくいっていてサッカーが楽しいのか?悔しいし、情けなかった。でも自問せずにはいられなかった。そこで、最近一つの答えがわかった気がしたのでこの場で共有したい。

それは、「今を追求する」ことである。例の「楽しめるのかな?」というメンタリティである。



上を目指していた頃は、「この試合でいいプレーができなかったら…」、「明日の試合は重要だから、今日は...」などという具合に常に来るべき将来に準備することを考えていた。試合中も、「残りの時間でボールに絡めなければ」、「あと何分体力がもつか...」という雑念に支配されていたように思う。

サッカーを真剣にやっていた人なら少なからず共感ができる部分があるのではないか。



しかし、プロになることを諦め、楽しむことを目的にし始めたあとの自分の頭の中には、「今」しかない。試合がどういう状況で、今自分が何をしたらチームを救うことができ自分が楽しめるか。常にそんなことを考えている。更には、相手の心情にも想像を膨らませることができるようになった。相手の考えていることを想像して、相手が嫌がるプレーとはどういうものか。常にワクワクしている。もちろん、自分のプレーや技術がそのワクワクに追いつかないことばかりであるが、そんなことは関係ない。楽しいし、何より自分が以前よりチームに貢献できている感覚がある。また、今に集中しているから練習の質も高く上達していくイメージがある。



大学に入ってサッカーを本気で続ける理由は二つしかない。一つはプロを目指すため。そしてもう一つは好きだから。後者のケースがほとんである東大のサッカー部にとって、上のようなメンタリティが少しでも役に立つのではないか。そう思って、自分の経験を偉そうに書かせていただいた。



プロのスポーツ選手でさえ、「知らないうちに」記録を更新したり、偉業を成し遂げたりしていたという内容の発言をよくしている。今を楽しむ。楽しむことを追求する。自分の得意のプレーに注力して少しでもチーム貢献する。その先に上達があるのではないか。もちろん、ハードワークを厭うわけではない。ハードワークさえも楽しむ工夫が大事だと思う。

今季の目標であるリーグ昇格は何としてでも達成したい。でも、理想はそれぞれが今日の練習を楽しみ、上達し、いいプレーを続けていくうちに「知らないうちに」リーグ優勝が決まっている状態だと思う。



「さあ、今日は楽しめるのかな?」



4FW 多田憲介
今シーズンの個人的な目標は、怪我なく毎試合ワクワクしながらプレーし、自分のサッカー人生を締めくくること。

2017年3月22日水曜日

春服とサッカー


 中級ファッショニスタの仲間入りを果たしつつある筆者の見解によると春のファッションのポイントはシンプルである。上下で濃×淡または淡×濃の色合いになるようにサイズ感のあったパンツとシャツまたはTシャツを組み合わせればそれで大体完成である。あとはアウターとしてテーラードジャケットやカーディガンまたは春ニットを着れば大抵の人から見れば、少なくともとてつもなくだらしない格好の人がチラホラいる東京大学のキャンパスを歩くぶんには十分オシャレとして認識されるだろう。変に凝った色やデザインの服はあまり必要ではなく、たったこれだけのシンプルな服装で十分だと思う。

   春服で重要な要素になるであろうこのシンプルさ、最近サッカーにおいてもとても大事なことなのだと痛感させられる。強い学校と試合したり、ユナイテッドの人たちの練習を見てると、もちろんずば抜けた身体能力、体格を持っている選手もいるのだが総じて言えるのは皆シンプルなプレーの精度がとても高い。単純なビルドアップの場面やボールを取った後逃す場面などまずミスがない。ア式が比較的同じ強さの相手と試合するときにはあまり目立たないが強い相手とやるときにはそういう単純なプレーの精度の差が顕著となってしまう。 

 去年1部を最下位で降格したア式だがやはり単純な技術の差は1部のチームと比べて明らかだった。基礎技術を磨いて出直してこいとの1部からのメッセージとして受け取るしかない。2部で戦う今年だが、1部のチームとの技術差をどこまで埋めることが出来るのかが勝負となるだろう。そうでないと昇格してもすぐに降格してしまう。まずは1部に安定できるように。皆が1部の技術レベルを意識して日々の練習に臨めるといいなあ。







と以上1スタッフの感想でした。



あと卒部式で富さんが行ってたようにみんな筋トレはサボらずやりましょう。





課題はワックスの付け方

3   濱田 広輝

2017年3月21日火曜日

山里亮太イズム


大学生になってから3年という時間が経過しようとしている。いま僕の中の大きな部分を占める感情はある種の諦めである。

この諦めという表現が一般的な意味のそれと一致しているか、そしてチームを率いる立場として適切であるかはわからないが、自分の中では一番しっくりくる言葉だ。



経済学部に進学すること。

英語を話せるようになること。

中国語を話せるようになること。

自炊すること。

毎朝7時に起きること。

週に1本映画を見ること。

エクセルを使いこなせるようになること。

関東昇格。

東京都一部リーグの最優秀選手になること。

カフェのかわいい店員さんに話しかけること。





これらは大学生になってから現在までで、自分がやろうと決意したが実現できなかったことのリストである。もちろんこれ以外にもたくさんある。誰でも数分考えれば10個程度は列挙することができると思う。



僕の場合、これらができなかった原因はいずれについても同じで、自らの内から出てくるエネルギーの圧倒的な不足である。やろうと思ってからしばらくは持続しても、もしくはある程度の成果を得ても、時間が経つと自らを突き動かしていた衝動は縮小し、目標を達成するより前に挫折する。終いには挫折の要因を外的な要素に帰すことでその一件を落着させようとする。



自分にはできると盲信し、幾度となくそれが過信であると気づかされるうちに、自分の限界というものを無意識のうちに自覚させられる。悲しいかなこれが大人になるということなのかもしれない。



これが僕の中にある諦めという感情の少し詳しい説明である。





話はガラリと変わる。





人が前進するための方法は2つしかないと思う。

(そもそも前進しようとしないという選択も人生を楽しむ上では賢いものだと思うが、自分はどちらかというと前進することの方に魅力を感じる性質を持っている。)



一つ目は自分で動くことだ。



これは、自分の中に強い意志を持ち、それによって自分の行動を決定していくということである。それができる人間はおそらく多くはないが確実にいる。

僕は中高と私立の進学校に通っていたので、サッカー部は決して強くはなかったし、意識が高い部活でもなかったが、とある同期部員は毎朝、毎昼休み、毎放課後にグラウンドに出て練習をして神奈川県の国体選手に選ばれていた。

彼は能力も高く得られた成果も大きかったが、能力の高い低いもしくは得られる成果の大きい小さいに関わらず、このようなプロセスをへて成長できる人間は心の底から尊敬できる。





二つ目は外的な力で動かしてもらうことだ。



これは、自分の意志に関わらず外的な力とによって、いわば強制的に自分を動かすということだ。この外的な力というの多種多様であり、時としてそれは人であったり環境であったりする。

ウェイトトレーニングを自分1人でやるときとトレーナーさんについてもらってやるときとでは追い込みの具合が大きく異なる。それは翌日の筋肉痛で文字通り痛感させられる。

僕の尊敬してやまない芸人の山里亮太さんは、著書『天才になりたい』の中で次のように語っている。「僕は根性がない。好きなことにはストイックになれるけど、嫌いなことにはまるで根性ない。逃げ道があったら、すぐそこに逃げてしまう。(中略)だから、逃げ道を断ってしまえばいい。簡単に言うと後に引けない状況にしてしまう。」

もちろん、そういった状況に身を置くという最初の行動自体にもエネルギーが必要だが、瞬発的にエネルギーを出すことはそれを維持することよりもいくらか楽なはずである。





文章の前半で書いた諦めとは自分で動くことへの諦めである。ここに関しては自分の中にある諦めの感情を自認せざるをえない。ただ、幸いなことにやり方は他にも残っているのであり、決して前に進むことについて諦めたわけではない。



自分なりの最高速度で前に進んで行く。













という感じのFeelingsです。





やはり諦めという言葉の有する負のイメージが強いのか、ここまでの文章を読み直した時、書いた本人でもネガティヴな印象を持ってしまいます。これらの所論は、前に進むためにどうすればいいのかを自分のこれまでの行動と内面から分析し真剣に考えた記録として、ポジティブに捉えてもらえると嬉しいです。



ここまで読んでいただいてありがとうございます。





『天才になりたい』もし読みたい人いたら貸します!おそらくいないけど!

4年 主将 沢登孝介

2017年3月14日火曜日

This one's for you


今年の1/8、幕張メッセで行われたデヴィッド・ゲッタのライブに高校時代の友人と行った。前日に同会場で行われたフェスと合わせたこの2日間が僕にとって冬オフ中の唯一のイベント事だったのだが、そこで最高の体験をすることができた。


初めてデヴィッド・ゲッタの曲を聞いたのはおそらく中3の頃だったが、それ以来ずっと好きで聞き続けていたので今回のライブは心の底から楽しみだった。そして実際、言葉で言い表せないほどに感動を味わうことができた。
中でも"This one's for you"という曲が流れたときは自然と涙が出てきた。
知っている人も多いだろう。昨年6月から7月にかけて行われたユーロ2016のテーマソングだ。
彼はこの曲の直前に、
「サッカーと音楽はとてもよく似ている。世界中の多くの人をuniteするし、みんなをhappyな気持ちにする。自分がこの曲でその両方に関われたのはすごく幸せだ!」

的なことを言ってた。
後から考えると彼にとってはあくまで曲紹介程度のつもりだったのかもしれないが、実際に会場の興奮に包まれた中で聞いたときは、なんて最高なMCなんだ!と思った。楽器が演奏できるか、フルコートでゲームをやったことがあるかなんて関係なく、世界中で数え切れないほど多くの人が音楽やサッカーを愛している。


サッカーが好き。サッカーに携わるにあたって一番大事なのって、結局そういう気持ちだ。






東大ア式に入って強く感じるのは、みんな頭が良くて自分自身の事もチームの事もすごくよく考えているということ。feelingsを書くにあたって以前の投稿を遡って読んだが、自分が思いつかないような深い話が多くて考えさせられる。ただ、サッカーやチームについて普段難しく考えることが多いからこそ、原点に返って真剣なサッカーを楽しむこと、楽しもうと意識することって大事だ。

ユーロ2016がポルトガルの劇的な優勝で幕を閉じた約1か月後、自分は京大戦後のチーム再編で実質的に戦力外通告を受け、ア式を辞めようか迷っていた。2週間ほどチームを離れて先輩や友達、恩師に相談をもちかけたりしたが、やはりア式に残りたいと思った一番の要因は本気でやるサッカーが好きだったからだ。

その後もこのままLBで続けることが自分のためになるのかと迷うことが何度もあったが、リーグ戦でAチームが格上の相手に勝ったり、新人戦で同期や先輩が活躍したり、スタッフがいろんな形でチームに貢献しようとしている姿だったり、そういう部員一人一人の戦う姿勢とそれに伴う結果を見ることで、焦ると同時にやっぱりサッカーが好きだと感じた。その感情のおかげでもう一度正式なプレーヤーに復帰したいというモチベーションをキープできた。



そして現在、育成チームに復帰したものの、怪我でろくに練習参加できず悶々とする日が続いている。そんなときどうやって気持ちをコントロールするべきだろうか。

もう意識すべきことはわかってる。



誰もが理解していて何度も考えたことのあるような当然の話だと思うけど、心理的に負担の大きいときほど意外とこれを意識するのが難しい。それを去年何度も実感した。でも常に意識できれば自分にも周りにもいい影響があるはず。個々がそうやってもっともっと魅力のあるチームを作り上げていけたら素敵だなぁと思う。

関東昇格を見据え、まずは東京都1部昇格に向けて全力で底上げに励もう。



This one's for myself

1年       皓亮

2017年3月12日日曜日

大切なことはすべてサッカーが教えてくれた


必ず成し遂げたい目標がある。
目標を達成するために成長する必要性を感じる。
そして、人は努力をする。



僕は、努力には2種類あると思っています。


努力しているのに、結果が出ない。
努力しているのに、成長が感じられない。
努力しているのに、もっと努力しろと言われる。
生きていれば誰でもこのような経験があるのではないでしょうか。
こんな時はきっと、
1つ目の努力はできていても、
2つ目の努力ができていないのだと思います。
僕はそのことを、サッカーから学びました。
人生で最も悔しい思いをした日から今までの日々の中で、身をもって実感したのです。




去年の秋、リーグ降格という厳しい現実が東大ア式蹴球部に突きつけられました。
全身全霊を傾けて挑んだ後期リーグ戦。ありったけの情熱を捧げました。
しかし、降格から逃れることはおろか、最下位から脱出することさえできませんでした。
勝ちたいという強い思いは、同じ強さの悔しさへと姿を変えました。
もう二度と、こんな思いはしたくない。
「来年リーグ昇格を果たして東京都1部に復帰する。」
降格が決まった日からの、僕の必ず成し遂げたい目標です。
何よりも勝利を第一に考えて新たなシーズンを歩き出しました。
この目標をどんな時も見失わないようにと肝に銘じて。



目標を達成するためには、今の自分たちでは力が足りなすぎる。
大きく成長しなければならない。
ならばどうやって成長する?
去年の前期リーグを終えた時点で最下位。
自分たちの甘さを知ったはずのチームは、覚悟を決めて練習に励んだ。
全力を振り絞っていた。
しかし、後期リーグは前期にもまして苦戦を強いられた。
他のチームと比較して、成長のスピードも量も全く足りていなかった。
なぜだろう。


考えて考えて、行きついた答えはシンプルでした。
「基準の低さ」です。
人それぞれ、自分の中に「基準」があります。
サッカーで勝つためには何が、どのくらい重要なのか。どこまでこだわるべきなのか。
各々が頭の中で理解しているこれらの情報が、その人の「基準」です。
僕たちは、サッカーで勝つために必要な「基準」をまだまだ知りませんでした。
思い返せば、前期リーグを終えて僕たちが決めた覚悟は、
自分たちの基準そのものを高めたのではなく、
自分たちの今の基準をどれほど満たせるか、その割合を高めたに過ぎなかったのです。
成長とは、自分たちの中の基準を高めていくことに他ならないと感じました。
そして、基準を高めようと意識して努力しなければ、
「今の基準の中で頑張るだけ」という袋小路に陥りがちだということも身をもって知りました。



1つ目の努力とは、基準を満たそうとする努力。
2つ目の努力とは、基準を高めようとする努力。
ここでいう「基準を高める」とは、
今ある基準をさらに高めることのほか、
今まで自分になかった基準を取り入れることも含みます。
2種類とも欠かせない努力です。
ただ、人の心は2つ目の努力を見失いやすいようにできていると思います。
基準は、意識せずとも自然に高まってくれるとは限りません。



2つ目の努力の本質は、「知ること」だと思います。
知ることは、時につらく感じるものです。
30回やれば良い(と思っている)腹筋メニューを29回まで終えたとします。
1つ目の努力をここでするのは簡単なことです。
あと1回腹筋をするということです。
30回という基準を満たし、自分の中の「頑張ってる感」は
29/30から30/30=1へと増加します。
2つ目の努力は、感情に全く異なる作用をします。
「これってホントに30回でいいんだっけ?」
隣の奴にこう聞いたら、なんと50回やらなければならないメニューでした。
自分の中の「頑張ってる感」は、
29/30から29/50へと減少しました。
本質からずれた満足感を心に与えるために、人は1つ目の努力にばかり気を取られ、
2つ目の努力を見失ってしまいがちだと思います。



悔しかったあの日から、僕は2つ目の努力からも目をそらさないように意識しています。
サッカーについて、自分の基準の低さを知る毎日です。
この日々を乗り越えるには、根性が必要です。
根性とは、目標を見失わない力のことだと思っています。
嫌なことを我慢する力ではありません。
何のために努力しているのか、それを見失わなければよいのです。
自分の基準の低さを知ることは、過去の自分、今までの自分を否定されることでもあります。
これを辛いと感じてしまうのは、過去にプライドをかけているからでしょう。
本当に大切なのは、目標を達成する未来にプライドをかけて行動していくことです。


こんな日々がしばらく続くと、僕の心にも変化がありました。
サッカーが、前よりももっと楽しいと思えるようになったのです。
この日々の先に、サッカーの本当の楽しさがあると信じています。
物事の価値が根性で乗り越えて初めて見えてくる場合もあるということが、身に沁みました。



この後の人生でも、基準が高まる瞬間を、
そして自分の基準を高めてくれる存在を大切にしていきたいと思いました。
その存在とは誰か?
周りにいる全ての人です。
どれほど試合中に頭を使い続けられるか
どれほどミスなくプレーできるか
どれほど粘り強くいられるか
どれほどサッカーについて考えられるか
どれほどこだわれるか
どれほど自分を追い込めるか
どれほど情熱を捧げられるか
どれほどチームの未来を考えられるか
どれほど勝ちたいと思えるか
……
チームを強くするための「基準」はいくつもあります。
目を凝らして、耳を澄ませば、
周りにいる誰だって基準を高めてくれる存在かもしれません。
チームはこうやって互いに基準を高め合いながら強くなれるはずです。


ただ、ここで1つ気をつけなければなりません。
チームを1つの個人のように扱うならば、
チーム内で高め合うことは1つ目の努力にあたると思います。
そして、2つ目の努力にあたるのが、
チームから見て外の世界にいる存在にアンテナを張り、基準を高めていくことです。
チームも個人も、
1つ目の努力に終始せず、2つ目の努力に向き合い続けることで
成長できると強く感じました。









今までの人生で、僕はサッカーに色々なことを教わりました。
情熱を捧げ、真剣にサッカーに向き合い続けてきたからこそ、
深く考え、多くを学ぶことができたと思います。
大学サッカーには特に考えさせられることが多く、その分多くを教えてもらいました。
もしかしたら、書店を歩けば同じようなことを学べる自己啓発本に出くわすかもしれません。
しかし、サッカーを通じた実体験から学んだのとそうでないのとでは、
僕の人生にとっての重みがまるで違います。
それは、僕にとって最も大きな情熱を捧げられるのがサッカーだからです。


確かに、大学で部活に入ってサッカーをすることで他の何かの機会を失っているかもしれません。
しかし、その代わりに、僕の人生にとって大きな意味を持つ“学び”に出会える、
かけがえのない機会を手にしています。
人生で一番大切なことは、一番アツくなれるものが教えてくれます。
僕にとって、その“一番アツくなれるもの”がサッカーであり、
このチームで勝つことだからこそ、
今日も僕らはサッカーをするのです。





長々と偉そうなことを書きましたが、読んでくださった方々に感謝申し上げます。
新4年 副将
工藤 航

2017年3月6日月曜日

上等

ア式に入部して10ヶ月ほど経った。しかし2回の骨折、2回の捻挫で計4ヶ月ほどプレイできていない。オフを考えると5ヶ月しかサッカーを満足にやれていない。高校3年間でした以上の怪我を今年1年でしてしまったことは非常に残念だがもうこの時間を取り返す術はない。怪我をしている時に考えることは常にマイナスの事になりがちだ。友達のサークルでの楽しそうな話を聞くたびになぜ自分は筋トレばかりしているのかという考えに苛まれる。福田さんがよく話される機会損失の話はまさに自分の悩みを代弁している



 つらつらとマイナスの事ばかり考えてしまっているがそれでも僕はこの部活に所属する。それはこの部活に入った動機をまだ忘れないからだ。高校1年の夏、3年生の二次予選進出をかけた試合での勝利以上に嬉しかったことはない。自分の代でも二次予選を成し遂げたかったが不甲斐ない負け方をしてしまったのが今も悔しくてしょうがない。この悔しさを晴らしたいという初心が今の原動力となっている。



 怪我をする度にマイナスの考えに陥ることはどうしようもないことだ。だとすれば克服する方法さえ身に付ければ怪我も有意義に使えるだろう。初心を忘れずにとよく言うが本当にその通りである。そして怪我から復帰する度にサッカーの楽しさを思い出すのだ。そして、こう思う。機会損失上等と。




1年 満永

2017年3月5日日曜日

継承


GKというポジション



2の時に出会い8年目



正直フォワードやりたかった



シュート打ちたい



ゴール決めたい



ゴールパフォーマンスしたい



そっちの方が性に合ってる気がする



しかし



ゴールキックで思いっきりボールを蹴る



絶対入ったと思われるシュートを止めた瞬間



その時のどよめき



相手の嘘だろ顔



勝ち点1以上の活躍



こちらもたまらない







ア式のキーパー陣



金瀬さん、ゆうごさん、たつやさん



真面目にキーパーというポジションに向き合い



自分の課題に取り組む



今日筋トレはきついな



妥協しそうなとこでのもう一踏ん張り



このア式キーパー陣の伝統



自分は継承していっているだろうか



後輩たちは感じているだろうか



まだまだ伝えきれていない



まだまだ自身も足りていない



残された時間は気づいたら後8ヶ月



長いようで短いようで長い

























昨年の方が良かったなんて絶対に言わせない



最後のシーズン初心に戻って



ALLOUT























一部昇格



4 GK 尾上尚太郎









早く豪とサッカーしたい