最後の何でも屋


冬オフのとある日のこと。

九州旅行中の同期選手4名がひょんなことから熊本の実家の私の母と対面する機会があった。

母に後で聞くと、会話の中で

同期「本人はア式のこと何と言っていますか?」

母「もう、命懸けて頑張ってますよー」

同期「僕たちも感謝しています」

という旨のやりとりがあったそうだ。



この会話を聞いて私は

同期の感謝の気持ちを言葉に現れた形で聞けたことと、母が、私がア式に「懸けていること」を理解し認めてくれていることを言葉に現れた形で聞けたこと。この2つの点から嬉しく思った。





現在、このア式蹴球部(男子部)において、純粋な「女子マネージャー」は私一人である。(女子トレーナー、女子テクニカルスタッフはいるものの)



この現状から、どうしてこんなに少なくなってしまったのか、女子が居づらい部活なのだろうか、と考え込んでしまうこともある。下級生の時は同期ももっといた。後輩もいた。一人、また一人と辞めて行ってしまった。自分の代が最高学年となり、先輩はもう引退されていってしまった。

ついに、女子のマネージャーは私一人となってしまった。



この部活は、東大生ならば普通勉強その他自己投資に費やすような時間も犠牲にしてサッカーに打ち込むところ。

そして、サッカーをするサークルなど他の団体も大学内に多数存在する中、唯一大学の名を背負って戦っている。

それ故、「部にいる意味は?」「部に貢献しているか?」「ここに所属するにふさわしい人間か?」を部員は幾度となく問われる。



その中で、自分の価値とは何か、考えては考えて、考えすぎて辛くなって辞めていく人がいるのだと思う。

スタッフの中でも特にマネージャーは何らかの専門性を持つわけでは無くいわば「何でも屋」。仕事は多岐にわたるがその分何のためにいるのか分からなくなってしまうのだと思う。



身近な人が辞めていく中で、そして辞めていく人と話す中で、私も自分の価値とは何か改めて考えた。しかしやはり答えはイマイチ分からなくて、それでも辞めるという結論を下すことなくのほほんと続けて行っている私は考えが一人浅はかなのだろうか、と悩んだこともあった。



思えば、自分の価値とは何かを探る模索は入部当初から始まっていた。

一年生の頃を振り返ると「この部に認められなければ」「役に立たなければ」と、とにかく必死だった。様々な部員と心してコミュニケーションを取っていたし、頼まれた事は何でもやっていた。

当時の自分のSNSやこのfeelingsに投稿した内容を読み返しても、とにかく自己主張が激しい。笑

そんなに頑張ってますよアピールしなくてもと言いたくなるほど、痛々しい。苦笑

とはいえ、それも避けては通れぬ道で、そんな時代があったからこそ今の私がいるとも言える。自分の価値を見出そうとし続けてきた割には未だ答えが分からないのであるが



しかし、そうして積み重ねて来たア式での時間にこそ価値があるのではないか、つまり、自分の価値は自分で作り出すものなのではないか、とふと思った。

冒頭に登場した母には、選手でもないのに何故この部でやっているのか、という究極の質問を突き付けられたことがあった。その当時は、やはり私がこの部にいる価値が母にも私から伝わって来ないのだろうと感じ少し落ち込んだ。

一方、他の部員にとって必要な存在になるためには?をいくら一人で考えても分からなかった。

だからこそ、冒頭の話を聞いて、少なくとも、母と同期には私の「本気」が伝わっていたんだ、と自信になった。



夏場に汗水たらして自分がくんだ水を飲んで選手が生き返ったような顔をした時。

思い切って出した自分の意見に対して他のスタッフが「いいね!」と言ってくれた時。

自分が作った試合告知画像を見て選手が少し嬉しそうにした時。

試合に勝った時。



自分(がこの部にいること)の価値はある、と感じる瞬間ならいくらでもある。そして、そうした瞬間、多少なりとも心が揺さぶられる経験に私はもうやみつきになってしまった。今更やめられない。



自分の価値とは何?何故この部にいるのか?

そうした小難しい問いに答えられなくても、

自分の価値を感じる瞬間はたくさんある

全ての部員がそう思える部活にしていきたい。



3年 学生スタッフ 松本彩伽

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