終わりの足音



客観的に見て、というか、誰がどう見てもわかる停滞期。最近の自分のプレーを継続的に見てる者ならば誰であっても、





「そろそろ限界かもな」





と思っているに違いない。自分でもその現実から目が背けられなくなってきている。そもそも残された時間が刻々と少なくなってきているこの時期に、これだけ伸び悩んでいること自体が既に致命的であると言っていいのに、そればかりか、体力や守備など、決定的な欠点とされてきた部分が多少なりとも改善されてきてしまったために、元々長所だったはずのプレーのレベルが全然足りないということが、逆に浮き彫りになってきてしまった。


すなわち、もう余りはっきりとした伸び代は残されていない。








もちろん、実力に差があるという現状がある以上、実際には伸び代が無いなどということはありえないのだが、自分が得意とするプレーをプレーの安定性を崩さずに伸ばしていくことは、欠点の克服の何倍も難しい。そういう意味で、残された時間で自分がプロで通用するような、いや、社会人リーグや大学リーグの中でさえ突出した存在となるようなレベルまで到達することは厳しくなってきたと言える。








恐ろしいことに、サッカーでは無い、別のキャリアのことを真剣に考え、冷静に準備を初めている自分がいる。自分のプレーが今から一度崩れるリスクを負ってでも上を目指すよりは、早いうちに部の方に戻り、少しでも自分の力をこのサッカー部に還元する方がいいのでは無いか、このまま変化が無ければ上を目指すのはこの半年が最後かもしれない、などと真剣に検討もしてしまっている。そもそもこんなことを冷静に考えられること自体、これまでであれば有り得なかったことだ。


今までどこか遠くにあるような気がしていた終わりの足音は、今急激に近づいてきている。ユースの時とも違う。「もう完全に終わり」の足音だ。








こんなことを考えていると、今までのサッカー人生を振り返ったりして感傷的なことを書きたくなったりするが、それは本当に自分が終わりを受け入れた時に取っておくとして、今僕が書きたいのは、それでもまだ前に進みたいという意志の方だ。


これはもう意地であり、見栄であり、単なる執着だ。よもや「夢」などという綺麗な感情では上を目指せない。この期に及んで諦めないなんてみっともないのかもしれないけど、こんな中途半端なところで終わるわけには行かないんだ。サッカーの神様なんているわけは無いが、いると思って懇願する。他のやつがどう思っているかなんて知らないが、自分ほどのサッカー好きも珍しいはずだ。どうかお願いだから、このサッカー好きに免じて、自分のこの下手くそなサッカーが上手くなるように、少しでいいから力を貸して欲しい。この半年が本当に最後。最後の最後まで、少しでも上手くなれるように、必死に食らいついてやる。


3年 山口遼

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