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6月, 2017の投稿を表示しています

ア式の一員になって

はじめまして、文科 3 類 8 組の赤木雅実です。よろしくお願いします。 ア式に入った理由がちゃんとあるから、入ると決めたのが早いからといって、入部してからはそんなこと関係ないし、実際、最後までア式に入部するか悩んで最も遅く入部した同期が、既に A チームで練習しているという現状があります。だから入部理由を書くか迷いました。 でも、書くことで、わからなくなった時に戻れる、原点のような所ができると思うし、他人にその文章を見せることで、楽で楽しい道という逃げ道を断つことができると思ったから書きます。 僕がア式に憧れたのは、高 1 の冬だった。 ア式は、年末にいくつかの高校を招待し、大会兼ア式の紹介みたいなイベントを開催している。 そのイベントに僕の出身校の浅野高校サッカー部は招待された。 その大会の運営、ア式というチームの紹介などは、大学生スタッフによって全て行われていた。大学サッカーの世界では当たり前なのかもしれないけれど、大人の関わりが全くなく、全てを学生だけで運営しているということが魅力的だった。 浅野高校サッカー部では、上の立場の人に命令されて動くのではなく、自ら主体的に気づいて、判断して、行動できるようになってほしい、という顧問の永山先生の方針があり、選手主導という体制をとっていた。選手主導では、自分たちだけでやることに対する限界を感じたり、先生の力を借りるとしてもどこまで借りるのか、とか課題が多かった。そんな状況下だったからこそ、選手主導、学生主導を普通にこなしている(こなしているように見える)ア式がなおさら魅力的だった。 また、そのイベントで、浅野サッカー部 OB でア式で活躍していた中西先輩と出会った。当時、中西先輩のプレーは見たことがなかったけれど、浅野出身の選手がア式で活躍しているということ自体がかっこよく、憧れた。 去年の春に、中 1 の時からお世話になっていた、一つ上の浅野の先輩の、満永先輩がア式に入部したことも刺激になった。来年は自分が!という気持ちになった。 浅野サッカー部での 6 年間の経験で、サッカーをもっとしたい、もっとわかるようにならなければならないと思った。 特にそれは自分達の代になった

つづきまして

間を空けずもう一本書いています。保坂です。 feelngs というものは定期的に自分の番が回ってきます。あろうことか僕は二回分も延滞していました。 だから、二本目です。気持ちなんてそんなにいくつもあるものじゃない、ごまかしで連投しても意味がないという意見、ごもっともです。しかし、それ以上に義務を果たす必要が自分にはあると思ったので、書きます。 先にお詫びをしておきます。誰の得にもならないことを承知で、僕の日常生活と感じていることをいくつか紹介します。 feelings を書く理由も内容も完全に独りよがりです。 でもやはり、なかなか一度に二本も自分のサッカーに対する気持ちを交えては書けないものです。 そんなにすぐ思いは変わらないのです。 常に移ろうものは、日野の機嫌と秋の空、くらいですからね。 ーー 空模様は実に読みにくい。この時期ならばなおさらだ。雲ひとつない暑い日だと思えば、雲に覆われ突然の雨に見舞われる。 それゆえ、我が家にはビニール傘がたくさんある。 本数の 8 割は僕が買ったもので、原因の 8 割は僕の怠慢に近い不注意から来る。 朝、家を出る前にテレビを見る。天気予報曰く午後は所によってにわか雨が降るらしい。 外を見ると、気持ちの良い晴天。こんなに天気が良いのに雨が降るなど誰が言えよう。 確信を持ち家を出る、もちろん手ぶらで。 こうしてまた僕はコンビニで教訓を買い、我が家の傘立てにまた一つ、みずみずしい教訓が加わるのだ。 翌朝、すっかり乾いている昔買った傘たちと、まだ少し濡れたままの昨日の教訓を見て、五百円を無駄にした損失は大きい、この悔しさ決して忘れじと固く拳を握り自分に誓う。 握られた拳と、開かれた手のひら。したり顔で前を見ると、藤山君のでかい顔から余すとこなく悔しさがにじみ出ている。 彼とは一年の頃から一緒に筋トレをしていて、毎回じゃんけんで先にトレーニングをする方を決めている。 勝ち負けの価値が小さく、しょうもなくみえるかもしれないがそんなことはない。だってやっぱ先にやる方が辛いじゃん。 そんな彼とのじゃんけんだが、今年に入ってからの勝率は 7 割は堅い。なぜか、そこには経験から得ら

とりま

ア式に入って前を向くための方法と自分と向き合う方法は数多く学べた。 興味があったからか、必要だったからか、たまたまなのか、はわからないけど。 本から、生活から。 言葉から、態度から。 尊敬から、反面教師から。 どんなときでも前に進み続けなければいけない。 「前」とは成長への一歩だし、それは勝利へ向かうべきで、本質からずれてはいけない。 理由はどうだっていいと思う。 本質的でも、うわべだけでも、偽善でも、虚勢でも。 とりあえず進み続けるべし。奥底に情熱があるのなら。 不安も期待も悔しさも、今は言葉にできる適切な形式も度量も見当たらない。 が、この二年間、気持ちも、技術も少なからず積み上がっているから、 自然と前を向いてるしいつだってポジティブだ。 価値を与えるも与えないも、すべて結果に委ねられてるから。 幸か不幸か、自分の満足度を測るア式での物差しは一つしかないから。 サッカーが好きだから。 このチームが好きだから。 やることは決まってる。 的な感じで。 3 年 保坂 

自意識過剰になっていないか?

自意識過剰になっていないだろうか? そんなに自分に集中してもしょうがないと思うのだ。 岩政コーチは「勝てるチームと勝てないチーム、どこが違うのか?」と題されたプレゼンで、「自分たちのサッカー」にこだわりすぎるチームは、勝負の相手の存在を考えることができず、「勝つ」という本来の目的から逸脱してしまうということを指摘している。かなりの大雑把な解釈なので、実際に Youtube の動画を観てみるといい。 僕は「個人の勝負」に関して少し書きたい。チームは個人の集合であり、極論すると一人一人が目の前の相手に勝利することができれば、勝負を制すことができると思う。 個人が試合で調子が悪いときや、結果が出ないときはほとんど常に自分に意識が行き過ぎている。「今日は調子が悪いな」、「監督は自分を交代させるつもりかな」、「自分は相手に舐められているな」、「身体が重いな」… このように、試合中のネガティブな雑念のほとんどは自意識からきている。だが、現実的に考えてみよう。誰もそんなに自分に注目していないかもしれないし、調子が悪いと思っているのは自分だけかもしれない。自分が作り出している不安によって自らのパフォーマンスが悪くなってしまってはもったいない。 「そんなことはわかっている。でも、その雑念を取り除くことが難しいのだ。」そんな声が聞こえてきそうである。そこで、解決策を提示したい。 相手に意識を向けるのだ。 相手は今どんなことを考えているか?何をしたら嫌がるか?そんなことを想像するのだ。妄想でもいい。そもそも、自意識も妄想なのだから。 例えば、相手が自分を舐めていると思ったとき、それは相手の集中が切れている瞬間だと考える。僕の場合、前線でミスが多くなった場合、相手のプレッシャーが緩むだろうと考える。そこで、一発ゴールを狙いに行く。実際、相手が準備している状態でゴールを奪うのは大変だ。相手が緩んでいる時こそ得点のチャンスである。 他の例を紹介したい。自分のラフプレーに対して相手が侮辱してきたとしよう。そこで生じるイライラにどう対処するか?自分がイライラしていることに気を向けるのではなく、相手がイライラしていることに気を向けるのだ。 「コイツいらいらしてるよ、集中的に狙おうぜ。」と白藤

1からスタート

はじめまして!ア式女子部、新入部員の兵藤夏未です。 初めての投稿ということで、入部経緯について話そうと思います。 私は高校時代、ハンドボール部に所属していました。 何か新しいことがしてみたい!という気持ちで初心者から始まった約 2 年間は、非常に濃くて充実した日々でした。 しかし高 3 の 5 月、引退がかかった試合の前日。 もともと悪くしていた腰を悪化させ、分離症と診断されました。 試合当日はコートの中に立つことすら出来ませんでした。 試合の結果は健闘するも負け。 私は最後の試合で何も貢献すること無く引退となりました。 あの時の試合終了の笛の音、涙溢れる同期のみんなの姿、今でも鮮明に頭に浮かびます。 もちろん、ハンド部に入って部員のみんなと苦楽を共にしたことに後悔はありません。 でも、私の 2 年間は儚く終わってしまったなぁ、と悔しさでいっぱいでした。 それと同時に、ある目標に向かって一つのスポーツに熱中することはもう懲り懲りかな、と思っていました。 そんな私に転機が訪れたのは、ほんの数ヶ月後。 9 月の文化祭が終わり、いよいよ受験勉強一本という頃。 とある女子の「昼休みにサッカーをしよう!」という発言から、週に 1,2 回、勉強の鬱憤晴らしも兼ねて女子でサッカーをする習慣が生まれました。 経験者のほぼいない、わりかし何でもありなサッカーでしたが、クラスの垣根を越えて行われるそれはプレーしているみんなを笑顔にするものでした。 気付けば私はサッカーの魅力にハマってしまい、 「大学に入ったら本気でサッカーがやりたい、もう一度、 1 からスタートして熱中したい」 そう思うようになっていました。 とまぁ、こんな感じです。 昔話を長々と失礼しました。 初心者ということもあって、まだまだ出来ない事ばかりです。 でもだからこそ毎回の練習で得られるものは大きく、成長を感じられる度に更にサッカーの魅力にのめり込んでいく自分がいます。 もっともっと出来る事を増やしていき、もっともっとサッカーを好きになれ

ボールと信頼

最近のリーグ戦では、謎のミスでボールを失うことが増えている。そういうロストがピンチや失点に繋がる。高校時代に、ボールを失うことへの罪の意識はしっかりと自分に定着したはずなのに何をやっているんだろうか。 武蔵はボールロストに対して本当に厳しかった。 監督はもちろん、選手も、誰かがボールを失えば、それに対して激しく怒っていた。 自分が不用意なミスでボールを奪われたことに対して、監督に 「みんなお前が失わないと信じて走ってんだから、軽いプレーすんな。」 と怒られたのは今でもよく覚えている。 この時初めて、軽いプレーは自分を信じてくれた人への裏切りであることに気づいた。 ボールを失うということは、信頼を失うということだ。 自分を信じて、ボールを預けてくれた人、走ってくれた人、試合に使ってくれた人、応援してくれた人の期待を裏切っているから。 そう思うと、自分はこれまでのリーグ戦でたくさんの人を裏切ってきたのかもしれない。 プレーで信頼取り戻します。 ア式  2 年 白藤 優

サッカー×東大生=?

講義を聴きながら、その内容を自分の頭の中でサッカーへと繋げてしまうことがあります。 量子力学でトンネル効果について説明されたときには、キーパー真正面のシュートがゴールに入るシーンを思い浮かべてしまいました。 こんな連想は何の役にも立ちません。 講義に集中しろ、という話ですね。 しかし、講義の内容がサッカーや部活動について改めて深く考えるきっかけとなったこともあります。 そんな講義のうち、僕の印象に強く残っている2つについて書かせていただきたいと思います。 1つ目は、「安全学」の講義です。 工学部の学生として、人工物を安全に使用していくために安全やリスクをどう評価していくかを学ぶことは不可欠です。 この講義で、安全やリスクの評価には決定論的アプローチと確率論的アプローチがあると学びました。 決定論的アプローチを簡単に言えば、想定された現象に対して安全を確保するための対策を重ね、その現象による被害を許容範囲内に抑えるべく工夫しようという考え方です。 一方で確率論的アプローチは、起こりうる現象を網羅的に把握し、それぞれの現象について「起こる確率」と「起こった場合の被害」の積としてリスクを定義し、 リスクを最小化する最適なシステムを設計しようという考え方です。 実際の人工物はこの2つのアプローチが組み合わされて設計されています。 サッカーの守備時のポジショニングではどうだろうか? 指導者の方々の教えや自分の経験を思い返し、この観点で見直してみました。 試合中に第一に考えるべきなのはどんな事だっただろうか … 攻撃中の相手の状態から相手の選択肢を割り出し、それぞれの選択肢について 「起こりやすさ」と「起きた場合にどれほど危険な状態になるか」を判断すること。 その上で、相手のそれぞれの選択肢が自チームに与えるリスクを天秤にかけながらポジションを修正し、 リスクを最小化する守備配置を整えること。 まさに、確率論的アプローチでした。 守備の根本は確率論的な考え方にあると感じたのです。 自分の中でどこかぼやけていて感覚だけに頼っていたものを、明確に認識できるようになりました。 試合中のプレー選択だけでなく

一勝

自分はおそらく多少計算的な人間である。小学校の頃からJリーグや海外サッカーを見てきたわけだが、残り時間何分だから何点取るには平均何分で一点だとかよく考えていたし、順位表を眺めて勝ち点や得失点差を計算するのが好きだった。 ア式のリーグ戦においてもそのようなことが気になってしまう。 2 部から 1 部に復帰するためには去年と一昨年のデータから考えると、勝ち点いくつが必要でそのためには何勝しなければならないとかいう感じである。 そのような話を持ち出そうとした時、僕は三年生の先輩のお咎めを受けた。残り何試合で何勝するとか考えるほど勝つことは甘くないと。確かにその通りである。 天皇杯。プロチームからアマチュアチーム、大学等、様々なクラブが日本一を競う大会である。J 1 のチーム対大学のチーム。結果は 3-0 。結果だけ見れば順当だなと思えるだろう。しかし得点時間は 80 分 86 分 90 + 2 分。これは適当な創作だが、天皇杯ではこんな試合がよくある。圧倒的に格上なチームが厳しい試合をしながらも、最後に実力差を見せつけて勝利する。 実力差が大きくてもこのような試合がよくあるのだ。つまり、東京都 2 部リーグの同じカテゴリに所属するチームで簡単に勝てる試合なんかある訳がない。 これは試合中でも同じことである。後半 35 分まで完全に試合を支配していたとしても、残りの 10 分上手くいくかなんて分からない。上手くいかないことの方が多いかもしれないほどだ。サッカーの試合で大逆転劇というものが色々なところで起こっているが、 3-0 だろうが 4-0 だろうが安全なスコアというものは存在しないと考えた方がいい。 リーグ戦第 5 節 vs 日大商学部 自分は初出場。チームは今季初勝利を遂げた。 前半終わって 2-0 。内容もかなり支配していた。今日は勝てると思った人も多々いただろう。しかし実際は追加点を取れず、逆に後半 41 分に失点。そしてその後も押し込まれる展開が続いた。 やはり簡単に勝てた試合とは言えなかった。 次の試合に繋がるとかそのようなものは結果としてついてくるもので、考えるものではないと思う。今後のことを

はじめまして

こんにちは、理科一類 9 組の青木辰平です。出身は東京都の早稲田高校、足は左利きでポジションは左サイドバックです。川崎フロンターレを少し応援しています。 feelings 一年生初投稿ということですが、同期紹介は上手く書けそうに無いので他の人に託すことにして、自分の入部動機や抱負を書こうと思います。 私の母校は初戦負けが続くような決して強くない高校であり、私はその中でベンチ入りもままなりませんでした。しかし一度だけ立つことができた公式戦の舞台の楽しさが忘れられず、当時の自身の怠慢や指導者がいなかったことを鑑みるとまだ成長できるのではないかと感じ、入部を決意しました。 そうして入部して一ヶ月が経ちますが、サッカーの難しさを日々痛感させられています。 利き足でさえ止める・蹴るが覚束無い 周りが見えていない 切り替えが遅い 上手く声を出せない 体を入れてボールを奪えない 姿勢が悪い 足が遅い スタミナが無い スローインが飛ばない 課題を挙げればキリがありません。基礎的なものだらけで、自分が 12 年間やって来たスポーツは何だったのだろうと悔やむばかりです。 しかしながら幸い、今周りにいるのは、自分よりサッカーが上手く自分よりサッカーを知っている人ばかりです。その環境を存分に生かし、よく尋ねよく調べよく考えて成長していきます。 自分が成長することが、まさにチームの「底」上げになると信じて。 拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。 今週末は連勝のために全力応援 初の 1 年会が楽しみな 1 年 青木

資格

僕はテクニカルスタッフだ。少々乱暴に言ってしまえば、分析スタッフということになる。そんな僕がチームを勝たせるために取り組んでいることの一つが、対戦相手の分析、スカウティングである。スカウティングには 2 年の頃から本格的に関与させてもらっているが、最近になって気付いたことがある。 自分が“タダ”でスカウティングをさせてもらえているということだ。 時が経つのは早いもので、気がつけばもう 3 年生。自然と、自分との距離の近い同期の面々の、公式戦に絡む機会は多くなる。そうなると、安定して試合に出られるヤツもいれば、ちょこちょこ出られるヤツ、絡めそうで絡めないヤツ、そして、なかなかその機会を得ることが出来ないヤツと、いろいろ分かれてくる。ただ、彼らは皆例外なく、厳しい競争の中にその身を置いて毎日努力している。 翻って、自分はどうだろうか。スカウティングもチームの勝敗を左右するだけのものは十分にある、重要な取り組みの一つであるが、そのスカウティングを担当する権利は、何の競争も無く、ただテクニカルスタッフだからという理由で自分に与えられたものである。お前サッカーのこと全然わかってねえし、スカウティング任せられねえよ、みたいなことはないし、そもそもサッカーわかってるかどうかを試されたことすらほとんどない。 競争の中で、努力してもなおなかなか思うように公式戦に絡むことの出来ない同期たちのことを考えると、ずいぶん軽い思いで当たり前のようにスカウティングやっていないか?と自分に問いかける必要があるんじゃないだろうか、と感じる。 これまで公式戦のスカウティングは 7 試合ほど担当したが、その試合で獲得した勝ち点の合計はたったの『 1 』だ。それでも誰かから批判されるようなことはなかった。それじゃダメだ。そんな『失態』を犯しても、のん気にしていた自分もダメだった。 練習でのキツいランや激しい身体のぶつけ合いを乗り越えて、試合に出るために必死にもがいている彼らに恥じぬよう、覚悟と責任感と誇りを持って、やるべきことに取り組んでいきたい。 3年 小椿

チームの勝利に

チームの勝利にどのように貢献できるのだろうか。 やはり自分の特徴を十分出さなければならない。 個人の能力もチームプレーの中で発揮されるものであり、自分がどのような特徴を持っているのかを知り、周りには自分を生かすためにどのようなプレーをしてほしいかコミュニケーションをとる必要がある。 僕はその分かりやすい例である。背が高いので高いクロスをあげて欲しい。足が遅いので何度も相手 DF の裏に走る役割は適任ではない。 ドリブラーとかならそんなことないのでは、ともしかしたら思うかもしれない。けれど、ドリブラーも自分がドリブルをする為に周りにうまく利用される必要がある。外に開いてフリーになるのか、あるいは少し下がって受けるのか。もちろん状況によっても異なる。 これは自分の特徴を生かすための方法である。自分が評価されるためだけなら他人に要求し続ければいいかもしれないが、試合に勝つためには全員の力を生かす必要がある。 そのように考えると、第二のステップとして、味方の個性を考えてプレーするということが必要になってくる。 こいつはトラップがうまいから強めに出してもいいな。こいつならここにドリブルしそうだからコースを開けておこう。 僕は自分の特徴を生かしてもらうように伝えていきます。味方の皆様は僕の特徴をしっかり理解してうまく使ってください。 ・・・というような Feelings 、もしかしたら1年半前なら書いていたかもしれない。 1年や2年の頃は、チームの勝利は自分が評価され上のカテゴリーに行くことの関わりで考えることがほとんどだった。 しかし、3年になると年間を通じて I リーグを戦うようになり、4年になった今はリーグ戦に関われるようにもなり、チームが勝つためにはどうしたらいいかということをより考えるようになった。 今、僕が考えているのは全く違うことだ。 個性を出すことも大事だけれど、相手がいるスポーツなので、そんなやりたいことだけできるなんてことはない。 相手がいればプレーの選択肢は狭まる。 例えば、体勢が悪い DF に最前線でロングボールを待っていて