チャンスの順番


「公式戦に出るのは諦めた方がいいんじゃない?」

一年生の冬、先輩との個人面談で唐突に放たれたその言葉を今でも覚えている。

僕が一年生の時は「一年生でAチームに入れなければ、公式戦に出ることは難しい」と言われており、入部当初ネクストガールズ(Cチーム)にいた僕には、当然誰も期待していなかったのである。同期はと言うと、既に10名弱の人間が選抜メンバー(Aチーム)に昇格していた。

だよなー、厳しいかもなー、卒業しよっかなー、結婚発表しちゃおうかなー、と思いつつもやはり諦めきれず、こう答えたのもよく覚えている。

「いえ、必ず出られるように努力します。」



今回は、僕たちは何故努力する必要があるのか、を僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなものを書きたいと思います。



それは、「チャンスを与えられるレベルに達し、そのチャンスを手繰り寄せ、掴んだチャンスを離さないため」なんだと思っています。至極当然のことではありますが、最後のシーズンを控えた自分を初心へ戻す意味でも、きちんと書かなければと思います。





まず、「チャンスを与えられるレベルに達するための努力」が必要です。極端な話、僕が日本代表に選ばれる可能性が皆無なように、ヤマケンに彼女が出来る確率が0であるように、ある程度の実力がなければ、チャンスを与えられる、その権利すら与えられません。この「チャンスを与えられる権利」というのは則ち実力をさすので、努力によって成長することで手に入れることができます。なので、そのための努力を積む必要があります。



次に、1つ飛ばして「掴んだチャンスを離さないための努力」について書きます。

チャンスを掴んでいる時点である程度の実力は保証されていますが、もらったチャンスを無駄にしないためにも、その後の努力は非常に大切です。例えチャンスをもらっても、それに満足して努力を怠れば、一瞬で周りに置いてかれることを、僕は何度も経験しています。彼女が出来たことに自惚れて鮮やかにフラれた僕の友人はその典型です。もう一度確認ですが僕ではありません、僕の友人です。また、努力をする時も、今あるポジションをキープしようとすれば、途端にライバル追い抜かれてしまいます。常に進化し続けなければ、現在のポジションはすぐに奪われてしまうでしょう。





最後に、「チャンスを掴むための努力」について書きます。基本的に、きっかけは運によって与えられます。とくに「他人からの評価」がからむスポーツの場合、試合に出る、Aチームに昇格する等、全てとは言いませんが、運による不確定要素も大きいです。

じゃあ、このチャンスをどう手繰り寄せるのか?他人からの評価なのであれば、もはや自分に出来ることはないんじゃないか?僕も最初はそう思っていました。練習後1人で壁当てしてたってAチームに上がれる訳でもないし、必死に筋トレをしたところで試合には出れない。況してや、北西がパーマをかけたところで世間の女性は全く興味が無い。

でも面白いもので、チャンスの順番はそういう奴に回ってくるものなんです。20年弱のサッカー人生、そんな光景を何度も目にしました。秋元康先生の書いた歌詞に「運はがむしゃらの味方」というものがあります。当にそういう事です。さすが大先生。



こんなものは非科学的な暴論と言われてしまえば何も言い返せませんが、それでも僕はこの類の努力を信じています、信じていたいです。

だから僕は更に成長するため、もっと言えば昇格のチャンスを手繰り寄せるためにも、僕のできる全てのことをやろう思います。



ビブスの順番、回ってくるの早くないですか?



四年  生駒里奈生誕委員グッズ部門所属 武田康平

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