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なぜ東大ア式でサッカーが上手くなれなかったのか

上原真路(4年/DF/栃木高校) リーダーの引退に際する寄稿文では物事を問わず、組織運営に関して偉大な成果を上げてきたり悔しい失敗があったりして、その裏には彼ら彼女らの知られざる苦悩や困難があった、ということが涙ぐましいエピソードとともに記述されるような規範があるだろう。そして最後は未来に向けてのメッセージによって、ちょっとした自己啓発のようなエネルギーを読者に与えるようなもの。僕も当初はそのような文章を書きたいと思っていた。   しかし、そのようなことよりも僕の興味を惹きつけて離さない、そして必ず向き合わなければならないことが 1 つあった。それは昨シーズン、僕はあまりサッカーが上手くなれなかったということだ。新監督やヘッドコーチはまったく新たなサッカーの観方を僕に与えてくれたし、それによって少なからずは上手くなっていたのだろう。   だが歴代の偉大なキャプテンたちのように、一部の舞台でア式を勝たせることができるプレーヤーになることはできなかった。もっといえば、自分のプレーはほとんど通用していなかったといってよい。   それにもかかわらず、今でも東大ア式はプレーヤーを上手くしてくれると本気で信じているのだ。だから、他でもない僕自身が「なぜ東大ア式でサッカーが上手くなれなかったのか」について興味が尽きない。プレーヤーが「いかにしてサッカーが上手くなれるか」について叙述したものはあまり見たことがないし、僕と同じようにア式での成長に伸び悩む後輩たちがいるかもしれない。だからこの問いに対する自分なりの答えを出してみることにしよう。   早速、本題に入りたい。   東大ア式は、他の日本のサッカーチームとは一線を画するアプローチによってプレーヤーを上手くさせようとしている。当事者である我々はこのようなアプローチをもはや当然視しているが、入部当初は非常に大きな衝撃を受けた。   ここでは、僕が大学 2 年生の春に新歓記事のために書いた文章の一節を引用したい。   「ア式のサッカーは『考えてプレーする』ことを何よりも重要視します。これまで感覚でプレーしていたサッカーが秩序化され、その解像度が高まっていくことを体感できます。」   そのアプローチとは理性的・科学的アプローチというべきものである。 ...

まだ終われない

谷晃輔(4年/MF/横浜翠嵐高校) 2024 年 10 月 13 日   リーグ戦最終節 vs  上智大   結果  4-0   最終節にして、残留をかけた直接対決という大一番を勝利で終えることができた。 長く苦しんだシーズンの鬱憤を晴らすかのような素晴らしい試合内容で、有終の美を飾った。 シーズン終盤は本当に苦しかった。勝てない期間が続く中で、副将として、 10 番として、責任を感じていた。昇格を期待されていた中で、自分の代で降格させてしまうのは絶対に避けたかった。 だから、最終節に勝って、えも言われぬ満足感を覚えながら、自分の大学サッカーは終幕を迎えた。           悪くない終わり方だ。 そう思っていた。         ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― *       「関東昇格」   言わずと知れた長年のア式の悲願であり、自分たちが最後のシーズンを迎える前に定めた目標である。 しかし、結果的に東大はリーグ戦を 10 位で終え、なんとか降格を免れるに留まった。                 ただ今振り返ってみると思う。   自分は本当に関東昇格を目指していたのだろうか。               2023 年 10 月   リーグ戦最終節、大東文化大学との試合を引き分けで終え、自分にとって 3 年目のシーズンが終わった。   最終的な順位は 12 チーム中 7 位、残り 4 節くらいまで関東参入戦に行ける可能性を残していたシーズンだった。   名残惜しい気持ちでいっぱいだった。 この年は劇的な試合が多く、特に後期の玉川、帝京と連勝したのは大学サッカーで最も嬉しかったことの一つだ。   陵平さん、八代さんを中心にまとまったチームはとても雰囲気がよく、最後の方はいいチームだなぁ、おわりたくないなぁと思いながらプレーしていた。   ...

まだ見ぬフットボールの景色を知りたい

吉本章(4年/MF/武蔵高校)  「フットボールは時に残酷で時に美しい」 サッカー界にありふれたこの言葉の意味を少しは理解できるようになれた。 いつだって画面に映るフットボールは魅力的だった。 15-16シーズンのミラクルレスター、シメオネアトレティコの作り上げる強固で綺麗な442ブロック、バルセロナの攻撃的なフットボール、レアル・マドリードの理不尽さ、サッリナポリのフットボールやティキタカ。さらには、ジェイミーヴァーディのプレースタイルにゴールパフォーマンスなどの全て、ドウグラスコスタのドリブル、リオネル・メッシの一挙手一投足、クリスティアーノ・ロナウドのフィジカルにテクニック、コウチーニョの斜め45度ミドル、ジダンの繊細なボールタッチなどなどあげたらキリがないが、そのどれもがトッププロをプロたらしめていて美しかった。 一方で現実の自分のサッカーは美しくもなくただただボールを蹴る楽しみだけだった。そして画面に映るフットボールと自分自身との圧倒的な差に辟易とし、憧れなんてものは抱けず別世界のものとして考えただただその凄みを傍観し、まるで別のスポーツかのように捉え、自身のしているサッカーの残酷さを痛感していた。 サッカーというスポーツでは、単純なボール扱い、いわゆる技術が高く上手いチームがボールを保持しながら攻撃を展開でき、身体能力が高く走れる、いわゆるフィジカルが優れている選手が多いチームが守備が強く失点をせずボールを奪える。 そんな当たり前のように思えていた高校生当時の価値観が完全に壊され、自身が体感したこともなく体感することもないと思っていたフットボールに巡り合った。当時高校生の頃、兄を見に行くために東大ア式の試合を見に行った。大学生とはいえ所詮東大なんだから同程度のレベルのサッカーだろうと期待せず足を運んだが、その試合は自身の想像をはるかに上回るものだった。 一見対戦相手の方が技術が高そうに見える試合で東大は、まるで当時ペップグアルディオラが就任し圧倒的なポゼッション率を誇りながら勝ちを積み重ねていたマンチェスターシティが用いていた偽サイドバックにも見える戦術を用い、ボールを圧倒的に保持しながらゴールへ迫り圧倒的に試合をコントロールしていた。目の前で展開されるそのフットボールは自身のサッカーとは異なるように見え、画面に映るフットボールに近い美しさを感じ...